ももいろペリカン日記

今日を留めるブログ

青い鳥はどこにいるの

先日から世界文学全集を集めている。

時々、古本屋に手頃な価格で出てくるので少しづつ買って並べている。

この春から小学校に上がるから、

絵本から、文字の多い本に移行する時期かなと思っている。

「お母さん、これ読みたい。」と最初に息子が手に取ったのは、メーテルリンクの「青い鳥」。

表紙の絵に惹かれたようだ。チルチルとミチルが手を繋いでいる姿に、妹と自分を重ね合わせたらしい。

幸せの青い鳥はどこにいっても出会えず、見つけたと思えば消え、いないと思ったら身近にいて、それも掴んだと思ったらとたんに逃げてしまった。

幸せの青い鳥はどこかにいる、けれども、ずっと掴んでいられない。

子供をいつまでも側で見守ってやりたいけれど、この世の別れは必ずくる。

今日も息子の言葉を聞いて涙がにじんできた。

「お母さんと、妹と、ずーっと一緒に暮らすんだ。」

 

心に文学を織り込んで、力強く人生を突き進んでほしい。

青い鳥はどこかに必ずいるから。

 

 

 

 

子供にしてやりたいこと

3月19日

息子は毎日のようにピアノを弾く。

たき火、雪やこんこ、銀河鉄道、ひな祭り、、、季節に合わせて、行事に合わせてレパートリーが増えていく、卒園式を終えて「ありがとうさようなら」が新たに加わった。

といってもそのピアノはミニピアノだ。

鍵盤が32鍵だけの小さなピアノ、数だけで言えば和歌の31文字と同じくらい制限された世界の表現だけれど楽しそうに飽きずに弾く。

少々狭い団地住まいではピアノが家に入らないので、昨年の誕生日にカワイの小さなピアノを買ってやった。

それを、カタカナのドレミでメモした楽譜を作って毎日弾くのだ。

 

「ピアノを習いたい。」と何度も言う。

叶えてやりたいけれど、肝心のピアノが家に入らない。叶えてやるには引っ越すかスタジオを借りて練習するしかないけれど。

 

一生懸命ピアノを弾く姿をみるたびに表現の幅を広げてやりたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

春の嵐の夜

3月18日

 

「お母さん、おなかが痛いよお。」

俄に緊張が走る。

「寒くない?いつから?」

夕方ベランダで遊んで冷えたからではないかと思うのだけれどやはり心配。

 

リンゴを煮て甘い香りがしてきたら溶いた葛粉でとろみをつけて葛寄せにして食べさせる。おなかが痛いとか風邪かなという初期症状には、これで体を温めて温かくして寝るのが良い。

でもまずは抱っこする。熱はなさそうだけど、おなかが痛いからか、おとなしくじっと丸まっている。

今月卒園式を迎えて、来月からは小学生になろうという我が子の手足は随分長くなっていた。こうして抱くといつの間にか大きくなったなあと気づく。

時のたつ早さ、子供の成長の早さが実感されて俄に焦りが湧き上がった。

子供に何を残してやれるのかなと心細く切ない気持ちも襲ってきた。

吹き荒ぶ風の音が一段と高く聞こえてきた。窓をガタピシ鳴らし続けて不安をあおってくる。

ここ数日の不安定な気持ちは、出会いと別れが交錯する季節だからだろうか。